2010年4月7日水曜日

「入院の日」の巻

 2010年4月1日 午前9時に家を出発。妻のお姉さんも奈良から来てくれた。
 
 妻の両親にも、ワシの親にも今回のことは言っていない。妻の友人R子の母親は、娘が乳がんになったと聞いて、二三日だが痴呆のような状態になってしまったという。

 手術中を病院の待合室で過ごす時間の長さは、経験した人はわかるだろうが、一分一秒がとてつもない長さに感じる。

 もう両親も歳だ。そういうしんどい時間を共有することはない。妻の両親には明日、手術が終わったあとで妻のお姉さんと一緒に報告に行くことにした。

 病室に入り、しばらく皆で話をしていたが、医者からの説明は夕方の四時頃になるという。
 ワシと息子は一旦引き上げて、その頃にまた来ることにした。お姉さんは残って妻と一緒に食事をしてくれた。

 中百舌鳥まで戻ってきて、お好み焼き屋で昼食、気温が高く、鉄板も熱く、お好み焼きが出てくるのも遅く閉口した。

 結局家に帰って小一時間でまた病院に向かう。

 医者は若い女医さんだった。
 説明を受ける。ほぼ聞いていた話と同じ。

腫瘍を中心に1.5cm程度の周囲を切除し、切除部を検査、もし切り口のところにガンが飛んでいればもう1cmずつ切り足してまた検査、これを3回繰り返し、それでもまだガンが見つかれば全摘出になると言う。1cmずつ・・・ねえ・・。

 同意書に記載されているリスクには目を通さないことにした。
 全身麻酔をするということでさえ、マラソンを走ったと同じくらいの体力の消耗があると言う。マラソンを走って、絶対に安全ですというようなことを保証することはできない。それは理解できるが・・・。

息子が究極の質問をしたいと言う。
「先生、このまま放置するとどれくらいの命なんでしょう?」

先生、苦笑しながら、しかし、恐ろしいことを正確に答えてくれた。

「このまま放っておくと、約二年くらいで癌が皮膚を突き破り、花が開いたような状態になります。患部からはものすごい臭いがします。また、リンパが腫れ上がり、腕は象の足のようになるでしょう。当然、臓器その他への転移もあるでしょうが、それ自体で死ぬということはなく、その状態でも生活できないということはないので、いつ死ぬかということについてはわからないのです。」

「乳がんというのは、恥ずかしいからなどという理由で検査をしなかったり、おかしいと思っていても医者に診せない人がいて、そういう状態になってから受診に来る人もいないではないのです。」

妻よ、君の心配性は命拾いの源であったのだなぁ。

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